0F(ゼロフレーム)『W』

「W」感想

 

今回のお話は様々な人の色々な思いが作用しあって、最後の展開へとたどり着いた、そんな感じでした。

だから誰が主人公でどんな目的でどんなことをしてっていう書き方は違うなと思い、いつもと少し違う書き方にしました。

 

キャラクターそれぞれに焦点を当て、それぞれの行動目的は何で、それが何を引き起こしたのかを、書いていきたいと思います。

 

ストーリーの紹介とは異なりますが、全部読めば把握はできるという若干めんどくさい構造です。

ご興味のある方だけどうぞ。

 

 

 

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ミチエ@阿江春果さん

阿江さんの役をミチエと呼ぶのはあくまで仮です。

彼女はもともとミチという一人の女の子でした。

 

小学生のころについてしまった小さな嘘「私、双子なんだ」をきっかけに、彼女は双子を演じなければならなくてなってしまった。

双子の姉・エミの存在を証明するため、ミチはエミに成りすましみんなの前に現れた。

「ミチにそっくりだね。ミチじゃないの」そう疑われた彼女は、エミの人格を次々と形成。

いつしかエミは「明るくて友だちの多い双子の姉」になり、ミチはその反対の性格へと変わっていった。

 

エミは明るくて友だちが多い。いつもの喫茶店で頼むコーヒーは「ケニア

ミチは内向的で友だちも少ない。いつもの喫茶店で頼むコーヒーは「コロンビア」

二人が同時に店に来ることはない。できない。座る席はいつも同じ。

 

元は身体一つで(いつしか無意識的に?)双子を演じ分けていた彼女。

しかしそんな彼女を、いや彼女たちの存在を、大きく変える出来事が起こった。

エミのことを好きな男子と、ミチのことを好きな男子が現れたのだ。

シマに告白されたミチは「本当に私のことを?」と何度も確認する。そしてミチのことを好きだというニイヤマにも「あなたはエミを」?

「一人の人間として…」

一人の身体で演じ分けていたそれぞれの人格が、それぞれ一人の人間として認められた時、その身体は実体化。

エミはエミとして、ミチはミチとして、この世に存在することに成功した。そして二人は本当の双子になったのだ。

 

やがて二人は元の一人に戻ることを決意する。それを決断させたのは、やはり優しすぎる友人ニコに負担をかけていたことに気づいたからだろうか。

 

一人に戻った彼女はいつもの喫茶店でいつもの席に座る。

元のミチに戻ったのなら、注文するコーヒーはコロンビアのはずだ。

しかし彼女が注文したのはエミのケニアでもなく、「ブルーマウンテン」

彼女の名前は「ミチエ」。これが元の彼女なのか、それとも新たな○◯なのか。

 

阿江さんはいつも自ら光を発していて、見ているととてもまぶしいと感じる。

なのに、アンダンテのとき同様、自分の作り出した世界にのめり込んでいってしまう危うさがとても似合う。

ただ可愛いだけの役に落ち着かないところが好き。

 

 

 

ニコ@岩田弘子さん

ミチとは小学生の頃からの友だち。

明るい性格だが、彼氏がいたことはない。

いつも「ブレンド」を注文するが、コーヒーのことはあまり分からない。

 

ミチの嘘と演じ分けに気づいていたが、ミチの中でエミの存在が濃厚になればなるほど、「間違っているのでは自分ではないか」と思うように。

やがてエミの存在を証明するための人格・モカを作り出し、モカもまた実体を持ってエミと時間を過ごすようになった。

友人を否定したくないという、ニコの優しすぎる性格が、モカを生み出してしまっていた。

 

エミとミチが一人に戻ったことで、もう無理をしなくてよくなったニコは、モカと別れを告げる。モカは笑顔でその姿を消した。

 

ニコは、ブルーマウンテンを注文したミチエに何を思ったのだろうか。

暗転の瞬間は笑顔だった。その笑顔が本物なのか、友人を受け入れるための嘘なのか。

どちらにしても、彼女たちは元に戻ることはできない。

 

コミカルな芝居を、絶対に誰にも真似できないレベルでパワフルにやってのける岩田さん。

一見するとコミカル要素たっぷりの彼女だが、本質的は別。

レインのユウコ?のときも感じたが、そのキャラクターが抱える本質をしっかりと表現できる。

今回の場合は、優しさゆえにつぶれてしまいそうになる脆さ。

誰か彼女の魅力に気づいてほしい。

 

 

 

マスター(トオル)@北代祐太さん

双子とニコが行きつけにしている喫茶店のマスター。

コーヒーへのこだわりが強く、反対に料理のセンスがなさすぎるため、メニュー表にはコーヒーの銘柄を示す文字しか並んでいない。

なぜか恋の話に敏感で「恋はコーヒーの味を変える」とかなんとか。「カフェ」という言葉を異常に嫌う。

口癖は「良いブレイクを(クセまみれの言い方)」その他濃ゆい設定もろもろ。

 

マスターもまた、ミチの嘘に気づいていた。

若気の至りだろうと騙されたふりをしていた彼だが、あの日を境に実体を持ってしまった双子を前に、真実を言い出せずにいた。しかしその時間がニコを苦しめていたのも事実。

やがて大人になったミチを目覚めさせるため、ついに「お前ら一人っ子だろ」と真実を突きつけた。

 

優しいのもまた罪だよなあと思った。

その優しさが引き起こしたものが何か、きちんと自分の目で見たから、もう同じことにはならないだろうけど。

ブルーマウンテンの違和感にも気づいてほしいところ。

 

我が道を突っ走るタイプの役が多い北代さん。

マスターのキャラクター自体は濃ゆいので、周りを置いてけぼりに突っ走ってるイメージが先行したけど、蓋を開けてみたらめちゃくちゃ優しい大人だった。

他人を包み込むような芝居は誘惑以来かな?

2回目見に行った時は、エミの実体が現れたシーンでマスターの表情をチェック。しっかりとその怯え?を表現していた。

でもどこだったかな?エミとミチが同時に現れた時はめちゃくちゃ驚いて「気持ち悪いな」とまで言っていたのに、同時にケニアとコロンビアを注文された時は反応が普通に機嫌よくて、「切り替え早すぎじゃない?」と思った。そういう演出ならすいません。

 

 

 

記者(名前すいません)@伊藤梢さん

オカルト雑誌の編集記者で、喫茶店にはびこる噂を調査するため、降霊術の女(先生)と訪れていた。

ちなみに噂とは「同じ顔の人間が出入りするらしい」

 

噂の真相がただの双子だったと聞いて肩を落とす記者だったが、ミチとエミを現実に向き合わせようとするマスターの声を聞いて、話に首を突っ込んで来る。

先生の降霊術を使えば、ミチをエミの中に戻すことができるのではと提案。

 

(個人的な印象として)比較的不器用な人が多い0Fの中で、芝居に関してはとても器用というイメージのある伊藤さん。

器用だから任される役の幅は広く、どれもこなすことができる人。それゆえに、頭を打つこともあるのではと思っている。

0F以外のユニットにも所属しているようだし、アカルスタジオで行われる公演のチラシには必ず「制作」に名前が入っているのも知っている。

どれもこなせているから任されているのかもしれないけれど、それで何かか疎かになるようなことがあるなら、本当に全力を出せる、魅力が最大限に出る現場で頑張ってほしい…勝手な心配ですね。

 

 

 

降霊術の女(先生)(名前すいません)@川﨑彩未さん

降霊術を得意とする女。

たぶん貧乏。

 

記者の提案でエミの意識を自分の身体へ降霊させることになった先生。

しかし術は失敗、狙いとは反対に、自分の意識がエミの身体に入ってしまう。

エミの意識を奪われたことで取り乱したミチがエミの身体を抱きしめると、エミの意識が勝りはじめ、先生は戻り方も分からずエミの中でさまようことになる。

 

衣装がすごいもんだからすっかりボケる側かと思いきや、完全に被害者。笑

あたふたする川﨑さんはおもしろいなあ。

 

 

 

シマ@金田侑大さん

喫茶店の前を通り掛った時に、中で座っていたミチに一目惚れ。

2時間外で張り付いていたらしい。

今日ここで会えたら告白する!と決めて喫茶店へやってくる。

 

主役級を演じることが多い金田くんですが、今回は出番少なめ。

けれどエミとミチに決定的なきっかけを与えてしまう重大な役だったと思います。

「好きです」の真っ直ぐさ、めちゃくちゃ良い。ニヤけちゃう。

 

 

 

ニイヤマ@周藤寿英さん

喫茶店の前を通り掛った時に、中で座っていたエミに一目惚れ。

1時間外で張り付いていたらしい。

今日ここで会えたら告白する!と決めて喫茶店へやってくる。

 

金田くん同様、物語が転じる大事なきっかけをしっかり担っていた。

本人はそんなつもりないだろうけど、シマに比べてちょっと下心ありそうな感じが良かった。

お見送りをして下さる時の笑顔は優しくて良い子なんだろうなって思うけど、舞台上では変態になれる素質を持っている。褒めてますよ。

 

 

 

ミチ@沖本凜花さん

双子になる前の、元の一人。

序盤からミチの意識として登場。後半は実体化を果たしたエミとともに、店にやってくる。

客にはミチの意識が可視化されている状態だが、物語の登場人物たちには阿江さんの顔に見えている。

 

元の自分を押し殺して、なりたい自分を追い求めてしまう姿が似合いすぎている。

沖本さん自身、お見送りの時に声をかけても褒め言葉をどう受け取ったらいいのか分かってない顔をするので、かなり役者に近いキャラクターだと思う。

それゆえに芝居が得意な方へいってしまって、阿江さんのミチよりどこか堂々としていた気もする。時間の経過がミチをそうさせたという演出なら、そう見えて正解だったのかもしれませんが。

よく口がとんがってる。

 

 

 

エミ@まおりーたさん

序盤からエミの意識として登場。一人の人間として実体化を果たす。

客にはエミの意識が可視化されている状態だが、物語の登場人物たちには阿江さんの顔に見えている。

 

出オチキャラを任されることはあっても、結局それもツッコミに回ることが多いまおりーたさん。

周囲に振り回されれば振り回されるほど、魅力的になる。

今回は自らその存在を主張しなければならない立ち位置で、少し苦戦していたように見えた。

特にニイヤマから求愛を受けるダンスシーンは、いわゆるキラキラ感がどうしても足りないように見えて、これが今後のまおりーたさんの伸び代かあと思いました。

 

 

 

モカ@もえこぴーなっつさん

エミの友人。ニコが作り出した、エミの存在を肯定するための人格。

観客に見えている姿はあくまで意識的なもので、マスターや記者たちにはニコと同じ姿で見えている。

 

実は一番立ち位置が難しい役ではないかと思う。存在意義が「エミの肯定」であって、だけどそれを背負っている感は本当に最後しか出してはいけなくて。

もう本当に普通の女子高生、大学生。普通を演じるって、逆に難しいことだと思います。

 

 

 

各キャラクターの担っていた部分と、それを演じた役者さんについて書いてみました。

見た人にしか伝わらないかもなあ。

 

 

エミとミチは同一人物がもつ別々の人格では、という疑いは当初からありました。

けれどあの告白を境に同時に存在することが可能になって、物語の真意が一気に見えなくなり、恐怖を感じました。

そして、これはもしかしてニコのほうが何かを抱えているのでは?と思って、それまでのシーンを振り返ってみると、ニコとモカは一度も顔を合わせていないし、マスターは何度もニコとモカを間違う。これらがどうにも伏線だと気づきました。

 

それで実際に蓋を開けてみたら、ニコも双子と同じ状況に陥っていて、しかもそれは彼女の優しさゆえの脆さというんだから、もう本当に誰も憎めなくなってしまって辛かった。

せめて誰かのエゴであれば、そいつを憎んで物語を終えることができるのに、そうはさせてくれない本の罪深さ。好きです。

 

 

 

オフオフのテンションも好きだけど、もともとの好みはこっちだったなーって思い出すことができた作品でした。

次は賞レースとのことなので、これまたどんなテイストで来るのかとっても楽しみです。

ココロ、オドル『0F(ゼロフレーム)ダーリンダーリン』

 

【本日の5W1H

(だれが)

芝居ユニット0Fが

(いつ)

2017年7月27日18時から

(どこで)

大阪高島屋の7階で

(なにを)

ダンスと朗読を融合したダンスリーディング劇を

(なぜ)

 

(どのように)

 

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0Fが劇場の外で活動しているのを見るのは、これが初。

仕事を定時で終わらせ、ダッシュで向かってなんとかギリギリ間に合いました!

私って、ここまでするほどこの人たちのことが好きなんだなあ…と、息を切らしながら実感。

アウェイな空間で、いつもと違うらしい表現に挑戦するメンバーのことを思うと、こちら側が妙に緊張しました。

 

序盤は舞台上のメンバーから若干の緊張も感じましたが、長いダンスシーンでそろそろ息が乱れてくるであろうところからは、もうそんなことを感じさせる隙もなく。

メンバー自身がどんどん世界にのめり込んでいく様子に、「応援したい」という気持ちがさらに大きくなりました。

 

しかし、時間が経つにつれ舞台で繰り広げられる物語に引き込まれ、「応援したい」はいつしか「次は何が起きるんだろう」に変化していきました。

 

 

ざっくり言うと、40分の間に物語が3つあったのかな?

神が世界を作り、ヒトを生み出すまでの物語。

現代版アダムとイヴの物語。

そしてそれらを描いてきた本の物語。

…という構成に見えました!違ってたらすみません!

 

 3つに共通して言えること。

0Fのメンバーは誰も技術に頼らずに、全身、特に目線の集中力で物語に引き込んでくれる。

特にダンスシーンは、ダンサーが踊るとその高度な技術を見せることで、物語の描写が二の次になってしまうことも少なくない。

しかしダンスが得意でない(ように見える)からこそ、目や全身のオーラから本人たちも世界にのめり込んでいっているのが分かるし、こちらもそれに引き込まれます。

 

それぞれの物語に言えることは、

ここでもいつものアテ書きの片鱗を感じました。

得意なこと、任せたいこと、挑戦させたいこと、それぞれに応じて適材適所で役割を与えられていたように思います。

 

物語の内容に関しては、8月の公演にも少し関わってくるそうなので、今回は割愛。

全貌がわかったら解釈とともに色々考えて書きたいですね。

 

今日はもう10人の手によって扉は閉じられましたが、その向こうではまだ、物語が続いているのだろうと思います。

 

劇場版『美少女戦士セーラームーンR』

【本日の5W1H
(だれが)

セーラームーン
(いつ)

 

(どこで)

小惑星
(なにを)

孤独に苛まれた地球外生物
(なぜ)

タキシード仮面や仲間を守るために
(どのように)

命をかけて消し去る

 

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「孤独に苛まれた地球外生物」は、衛が子どもの頃に出会った「フィオレ」のことを指します。
自分がどこで生まれたのかも分からず宇宙を彷徨い続けた彼は、やがて弱ったその心を「キセニアの花」に寄生される。
「衛くんを守るためには地球人を殺さなくてはならない」という間違った解釈に捉われた彼は、ついに地球人を攻撃する花の種を送り込む。

 

大まかなストーリーの入り口はこんな感じ。

ここに行き着くまでにはセーラー戦士たちのわちゃわちゃもあって楽しい。

あとちびうさがかわいい。

 

子どものころから大好きなセーラームーン

リアルタイムで放送されていた時はまだ幼稚園児でしたが、小学校高学年になってから近所のTUTAYAでVHSを毎週1本借りて、5シリーズを網羅しました。

中学生に上がるころに原作も全て読んで、未だにガチャガチャを見つけると小銭を惜しみません。

 

そんな大好きなセーラームーンの中でも一際お気に入りだったのが、「セーラームーンR」の劇場版。

我が家では「花のやつ」と呼ばれ、テレビで放送されたものを録画したVHSは、擦り切れるほど見られていました。

 

最近それが無性に見たくなって、けれどVHSがどこに行ったのか分からなくなったので、思い切ってDVDを購入しました。

 

結論から言うと、嗚咽が漏れるレベルで泣きました。
どうしてこんなに涙が止まらないのか、全く理解ができなくて、日にちを空けて3回見ました。

 

そこで気づいたのは、ストーリーの展開によって変わっていく、セーラー戦士たちのお互いの呼び名。

普段、生活をしている時は名前などのニックネーム、変身後は「セーラームーン」といったコードネームで呼び合うセーラー戦士とタキシード仮面。

 

しかし危険な戦闘へ身を投じようした時や、瀕死の状態では、変身前と同様の名前呼びになることがほとんどです。

昔はそれが当たり前でしたが、今になって思うと、これがいかに彼女たちの絆を印象的なものにしているのか気づくことができます。

 

セーラー戦士は前世から運命的に同じチームで宇宙を守ってきたと描かれていますが、実際に彼女たちを結びつけているのは、セーラームーンこと月野うさぎの愛に溢れた人柄です。

 

今作品でも、命を投げ出し銀水晶の力を使うセーラームーンの背中を見て、他のセーラー戦士やタキシード仮面は皆「セーラームーン」ではなく「月野うさぎ」から受けた愛情を思い出して涙ぐんでいるのです。

 

そこには仲間だけでなく、敵であるはずのフィオレを含まれています。

彼は銀水晶の力によって消滅したのではなく、セーラームーンの愛を受けて浄化されたのだと、今回DVDを見て気づくことができました。

フィオレもまた、孤独で寂しがりやな性格なだけの、心優しい青年だったのでしょう。

 

涙が溢れて仕方ないのは、強い力で圧倒するのではなく、広く深いその愛に包まれる感覚が画面越し伝わってくるからなのかもしれません。

 

あとは圧倒的な作画と、効果的すぎるBGMの力も強いです。

視覚的、聴覚的な感動も大きいので、初見ではストーリーを解釈する余裕もなく、ただ圧倒されて心が強く衝き動かされる感覚でした。

 

 

愛をテーマにした作品はごまんとありますが、一世を風靡した子ども向けアニメにこんな一面があったとは気づきませんでした。

 

大人になるのも悪くないなと思うことができました。

ぜひオススメしたい作品です。

 

ただ、自分が隣にいては泣きすぎて相手の感動を邪魔してしまう可能性があるので、DVDを貸すという方法しかできないのが、残念です。笑

よしもとオフオフブロードウェイ『SYK』

 

【本日の5W1H

(だれが)

三蔵法子率いる4人組が

(いつ)

(どこで)

四国で

(なにを)

八十八ヶ所のお遍路を

(なぜ)

それぞれの罪を償う(罰を受ける)ために

(どのように)

神々に邪魔をされながら冒険するお話

 

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オフオフの感想を書くのは久しぶりです。

キャスト数が多くて話が一筋縄でいかず、色んなところに感情移入してしまうので、感想をまとめるのが難しいんです。

 

今回は西遊記と四国のお遍路を合体させたお話らしく、三蔵法師一行を思わせる4人組と、世界中の神々が出てくる展開でした。

 

三蔵法子(みくらのりこ)は東京の寺の娘。

後継の婿を望む父親の言葉には耳を貸さず、ネイリストになる夢と結婚で得る幸せを追い求めている。

けれど現実はバイトの日々。

ある時そんな法子の部屋に世界中の神々が押し寄せ、四国の八十八ヶ所を回れと詰め寄ってくる。

神々の圧に負けた法子は、リックシャックを背負い四国へ向かって歩き出す…

 

というのが冒頭。

出だしからキャラクターほぼ総出演で、団結力のいるボケで物語をどんどん進めていく。

あれよあれよと笑っているうちに法子が旅に出る出る段取りになっていて、法子同様「どうしてこうなった」感に苛まれさらに笑ってしまいました。

 

オフオフで好きなのは、冒頭からオープニングダンスへのスピード感。

「今回はどんな話だろう」「なるほどこんな感じか」と気づいた瞬間に爆音でかかる曲と、パワフルなキャストの動きに、一気に引き込まれます。

これもオフオフの特徴だと思うので、色んな人に知ってほしいなと思います。

 

法子はどちらかというと受け身の人間で、展開としても巻き込まれる描写が多かったけれど、それを受け止める器を持った強い子だなと思いました。

主演を務めた道さんにもきっとその強さがあるのでしょう。

ツッコミ系の主人公は周囲のキャラクターに埋もれてしまうことも少なくないですが、道さんは誰よりも輝いていました。

そんな彼女が背負う罪は「嫉妬」

 

「傲慢」と「強欲」を背負うのは、北代さん演じる青天。

北代さん、いつもの力技でねじ伏せてしまいそうな役でしたが、どこかいい意味で力の抜けた演技でとてもよかったです。

具体的に何が変わったと表現は出来ないのですが、確実に変化があって、北代さんではなく青天としてそこにいるのを実感しました。

 

村井んーとささんは「暴食」と「憤怒」の沙悟浄こと迫と、キリストの二役。

冒頭とクライマックスのキリスト役が似合いすぎていて、まずその事実に笑える。

そして迫のジジイ感がまたマッチしすぎていて、その幅の広さ、けれどどちらも絶対にんーとささんにしか出来ないその佇まいに、脱帽でした。

 

猪八役の宮本さんはいわゆる男前。

けれどあのお松さんが男前にただの男前の役を振るはずもなく。女が好きすぎる変態イケメンでしたね。

ちなみに罪は「色欲」と「怠惰」

綺麗な顔から次々と繰り出される、ポジティブすぎる変態発言に、客席も「次はなんて言うんや」「もっとくれ」と欲する空気になっていた気がします。

 

川﨑さん演じる「全ての神」に放たれた、キリストの「それは何もないのと同じだ」という言葉。

この言葉がとても重く、同時に「私は何も持っていない」と周りに嫉妬していた法子との対比に気がつきました。

迫も中盤に言っていましたが「つまり俺たちは何かを持っているということだ」というセリフも効いてきます。

…あれ?これどっちもんーとささんのセリフだから、もしかして伏線だった??

 

見終わった後は、人間に絶望した神々に人間がどう答えるか、という話なのかなあと思っていましたが、今こうして考えてみると、それは少し違うことに気づきました。

神がそれぞれ能力を持っているように、人間も一人一人持っている力があって、それは武器であり欠点である。

カヤツヒメに自分の欠点を答えてみなさいと言われた4人のうち、法子以外の3人がポジティブな返しをしてしまったのも、ボケではなかったのだと、今になって分かります。

 

自分にとっての短所、それは長所の裏返しであり、使い方によっては武器にもなりえるのだと、当たり前のようで普段気づけないことを改めて考えることが出来ました。

ブロードキャスト‼︎『大阪ブロード!!〜道頓堀ZAZA〜』

【本日の5W1H

(だれが)

東京の劇場で活躍する漫才コンビブロードキャスト‼︎が

(いつ)

2017年7月2日に

(どこで)

道頓堀ZAZAHOUSEで

(なにを)

→単独ライブを行った

(なぜ)

 

(どのように)

 

 

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数年前に当時の5upで単独ライブをした際も見に行きました。

東京の芸人を見れる機会はそうそうないですし、なによりお笑いを劇場へ見にいくのが久しぶりだったので、なんだか心がとてもツヤツヤになりました。

 

ボケの吉村さんは押せ押せで行くように見せかけて、引きの芝居もできるみたいで、その緩急に笑わされます。

急にボケがボソボソし出したり、しゅんとしたりするところに、妙な哀愁があってとても惹かれるんです。

後々調べてみると、演劇をやっていた時代があったとか。

 

房野さんは決められたボケに対してだけでなく、本人たちが気づいていなかった笑いどころや、ちょっとしたハプニングなど、予定外の笑いにも、お客さんの反応を見てきちん拾ってくれるので、安心して楽しめます。

 

幕間VTRを見ていると、お互いのリアクションを面白がったり、良いと思ったことは良いと言ったりと、いい関係性であることが見て取れました。

 

エンディングでは、予定より30分もオーバーしてしまったことに触れながら、「大阪のお客さんは自ら笑いどころを見つけに来てくれるからネタをやっていて楽しい」と語っていました。

だけどそれは、その空気を2人が感じ取って広げてくれるだろうという、信頼があるからだと思います。

テレビではその魅力はなかなか伝わりませんし、出せる機会も少ないので、そこがとても歯がゆいですが。

 

今後も劇場でこの楽しさを体感したいので、また大阪に来て欲しいです!

だれが いつ どこで なにを なぜ どのように

好きなものはたくさんあります。

小さなころ夢中になったセーラームーン

休み時間、脇目も振らずに没頭した読書。

初めて自分のお金でCDや雑誌を買った特撮。

フリートークの面白さを知った声優ラジオ。

華やかさと実力に魅了されたイケメンミュージカル。

芝居とは違った切り口の表現に目から鱗が落ちたお笑い。

 

様々なジャンルを経て、今は総体的に「いいな」と思うものが増えました。

目が肥えることは好き嫌いのジャッジが明確になってしまうことなのではないかと思っていましたが、アンテナが敏感になった分、好みのものをキャッチしやすくもなったということでもあります。

 

なので過去に好きだったものを見返すと「だから自分はこれが好きだったんだ」と気づくことができて、より一層それが好きになります。

その気持ちを伝えたい!どこで!どうやって!

 

その時に思い出したのが5W1Hでした。
プレスリリースなどを作る会社に勤めていた際に教わったものです。

イベント等の告知をする時は、そのイベントを「だれが」「いつ」「どこで」「なにを」「なぜ」「どのように」行うのかをきちんと伝えることが大切だと。

 

これはもしかすると、エンタメを見た感想を他人に伝えるのにも、活かせるのではないか。
そう思い、このブログを立ち上げてみました。

 

「私が」「心動かされた時に」「ここで」「良いと思ったものを」「知ってもらうため」「文章で」伝えます。